オーストラリアには最初、アボリジニ(先住民族)しか居ませんでした。しかし、ある日そこに白い人間がやってきたのです、彼らはオーストラリアを刑務所(流刑植民地)にしました。
5分で分かるオーストラリアの歴史!
時はさかのぼり、7万年程前に初めて人類がオーストラリアに上陸したと考えられています。
先住民アボリジニ

彼らは、石や木で武器や、家を作り暮らしていました、戦闘方法はブーメラン。(ブーメランってダメージ食らうんですかね?4ダメージしか食らわなそう。実際戦ったらブーメラン投げずに、直接殴ってそうですね)
そしてアボリジニの芸術は、世界で最も古い伝統の芸術だと言われています。

驚くことに、彼らの中には超能力(テレパシー)で会話出来た者も居るのだとか。

この絵は4千年前に書かれたと伝えられている絵ですが、これに描かれている絵は人間では無く、雨と雲の精霊ワンジナ(Wandjina)だと、アボリジニは語っています。
そしてアボリジニ先祖代々から伝わる神話『ドリームタイム』。
この神話では、この人間界が出来るずっと前のドリームタイムという時代に、ワンジナが地球上の生物と言語を作った、と言い伝えられています。
アボリジニはワンジナが創造した生物と自然と共存し生活していました。
しかし、そんな彼らの土地に、白い人間が上陸したのです。
ヨーロッパ人がオーストラリアへ上陸

ヨーロッパ人の上陸により、多くのアボリジニが命を落としました。
1520年、ヨーロッパ人初のオーストラリア大陸を発見したのはポルトガル人、彼は大陸東部を探索しましたが、オーストラリア大陸に魅力を感じなかった為、再来することはありませんでした。
1606年、オランダのウィレム・ジャンシューンら27名の航行士は、西部と南部の海岸を探索し、オーストラリアをニューオランダの大陸と名付けました。
1770年、イギリスのジェームス・クック中尉がボタニー湾(現シドニー)に上陸、クックはオーストラリアの流刑植民地化(刑務所)を計画、その後イギリス政府はボタニー湾(現シドニー)に植民地を樹立することに決めました。
778人の囚人を乗せた艦隊がオーストラリアに到着
1788年、アーサーフィリップ大尉の指揮のもとで、778人の囚人(192人の女性と586人)を含む1,000人以上の入植者を乗せた11隻の第1艦隊が到着。

そして勿論、銃を持つ彼らは一瞬でオーストラリアを流刑植民地にしました。抵抗するアボリジニは簡単に殺されてしまった、悲しい歴史でもあります。

そして1788年から1868年の間に、なんと約161,700人もの囚人(25,000人は女性)がイギリスから、オーストラリアへと運ばれたのです。
その間の年、1810年から1821年にかけて、刑務所としての植民地から、自由な社会へと移行して行き、国はどんどん成長。
現在は先進国として、オーストラリアは成長を続けています。近年の物価上昇率は穏やかですが、ここ数年の間に各国から移住希望者が殺到し、物価は急上昇しました。
何故オーストラリアは人気なのか、私が考えるに、まず地震が無い。このため自然災害に怯える必要は無い。そして治安もいいし、仕事もいっぱいあります。
シティはいつも綺麗、常に掃除の車が走っています。恐らく日本よりずっと綺麗な国だと思います。
この歴史をもう知ってたし!うるせえよ!って思った方は是非いいね!をお願いします!
血は争えない。犯罪者の子孫とは関わりたくない。
その犯罪の内容は、僅かな小銭を盗んだとか、ハンカチを1枚盗んたといった大したことでもない事が多かった事はあまり知られていない。
更に10代の子供も多くいた事なども知られていない事の一つでしょう。
それらの多くは貧困からくるものであり、生きるために仕方が無かった部分も大きいのです。
そもそも、後に入植した人の方が多いですよ。
とは言え、植民地支配自体の話をすれば、解釈は変わってしまいますけどね。
なるほど、貴重な情報ありがとうございました!勉強になります!